きっかけ
あきやまさん、安達さんと、SaPID(※1)について話していた中で、ふと不思議に思ったことがあった。
※1 SaPID(Systems approach based Process Improvement methoD)
【なぜ「三方よし」の「三方」は「三」なのか】
とてつもなく哲学的で心理学的で、つかみどころも無い現象・現実をおいかけることになるのではないだろうか?そんな疑問も脳裏に走った。
しかし、こういう疑問を一つずつ考えていくことは個人的にとても好きだし、観点を広げていくことで、(言いすぎかもしれないが)森羅万象の理論を把握するところに行き着くのではないか、と感じている。考えることをとめるのはもったいない。人間なのだから。
目次
具体例を考える
本題に入ろう。
疑問を改めて掘り下げる。どういう観点で追いかけたらよいのだろうか?
具体例→仮説を立てる→検証→考察 ですかね。やはり。
熟語の例
三方よし、の「三方」があらわす「三」と同じような意味を使った「三」を用いた慣用句・熟語などを考えてみた。
三権分立、一月三舟、一心三觀、三舟の才、一行三昧(~ざんまい)、などなど。
それぞれの意味をみてみよう。
- 三権分立:権力の濫用を防止し、国民の政治的自由を保障するため、国家権力を立法・司法・行政の三権に分け、それぞれ独立した機関にゆだねようとする原理。
- 一月三舟:仏道は一つであるのに、衆生しゅじょうの受け止め方で、種々の意味に解釈されるたとえ。止まっている舟から見る月は動かず、南へ行く舟から見る月は南に動き、北へ行く舟から見る月は北へ動くように見えるということ。
- 三舟の才:詩・歌・管弦のすべてにすぐれていること。三船(さんせん)の才。
- 一心三觀: 天台宗で説く観法。 空(くう)観・仮(げ)観・中(ちゆう)観の三観を同時に備えもつこと。すべての事物がそのまま仏教の理法にかなっていることを体得すること。 円教の三観。
- 一行三昧:一つの修行方法に専心すること。特に念仏三昧をいう。
具体例の背景?
たまたま、趣味嗜好により、仏教系の用語が並んでしまったが(汗)、それぞれで「三」の意図するところには、
多様性があり、さまざまな観点から見るべき、ということや、事象を構成するものは3つ「技能・技術・実現する道具/対象」なのだ、ということがあるのでは、と思われる。
「自然・世の理」を「安定(最上の状態)」へ昇華させていく動きを表現しているのでは、と思った。
では、「安定最上の状態(at one's best)」とはなんだろう。
安定する、とは?どういう状態だろう?
あんてい【安定】
[名](スル)
1 物事が落ち着いていて、激しい変動のないこと。
「心の安定を保つ」「物価が安定する」
2 平衡状態に微小な変化を与えても、もとの状態とのずれがわずかの範囲にとどまること。「安定のいい花瓶」
3 物質が容易に分解・反応・崩壊しないこと。「この元素は安定している」
上記をみて、なんとなく納得した。そうか、これか。
「ズレ」が生じても、「平衡状態」に戻せる。崩壊しない、本質の意味するところへ戻そうとする力を働かせ、その状態へ遷移させる。
この、小さい単位が、「3」だな、とうっすらと感じてきた。
検証する
”「ズレ」が生じても、「平衡状態」に戻せる。崩壊しない、本質の意味するところへ戻そうとする力を働かせ、その状態へ遷移させる。”
本当にそうなのか?
力学的観点から(自然原理から)
「三方」ということばが表すとおり、「方角」「方向」が3つ、とその言葉は表していると考える。ベクトル、と捉えても良いのではないだろうか。
「もの・こと」の安定、「平衡状態」に戻す「力」。ズレが継続的に発生すると、ある地点からどんどん遠ざかっていく。らせん状にどんどん広がっていくイメージが自分にはある。
ここで、「力のモーメント」を考えてみた。
力のモーメントとは
物体を回転させようとする作用のことを「力のモーメント」という。
例:てこの原理、滑車の原理剛体を回転させようとする能力は、力の大きさFだけでなく作用線と回転の中心との距離rにも比例する。
Fが大きいほど、rが長いほど、剛体を回転させようとする能力は高い。
物体を回転させようとする能力を力のモーメントNといい、Fとrの外積で表す。
外積なので、力のモーメントはベクトル量となる。
N = r × F
物理解体新書より
考察
この観点において、考察したことは、「ズレ」が生じた「力」を打ち消しあい、
「平衡状態」に戻すことができるベクトルの数が、「3」である、ということ。
2点では、力が強い方へ押し流されてしまう。そこへ、もう一点から支える力を作用させると、「平衡状態」になる。3点の合成ベクトルは、「逆」「打ち消しあう」ではなく、広がりを見せる。
必要な観点を広げる力が作用するのではと、かなり強引な結論かもしれないが...。
2点の場合は、打ち消しあう力が作用してしまう。
なぜなら、「つりあう」のは、逆向き・同じ大きさのベクトルであるためである。
心理学的観点から(自然原理原則の力が及ばない側面から)
心理学というのは、「「人間というのはこういうものだ!」というのを追求するもの」と言われるらしい。
人間の存在...関係の基本構成としては、一人・二人・複数になるのでは、と思う。
これは、人間の関係性は二人までならばベクトルは双方向で二本だが、人数が増えるに従い、複雑度が増す。俯瞰して制御する労力・スキルは格段に違ってくる。
三方よし、が意味するところは、【「売り手」「買い手」「世間」...売り手の都合だけではない、買い手のことを第一に考えた商売と商いを通じた地域社会への貢献をする】というところ。
双方の損得だけで考える、マウンティング・勝ち負けの世界ではなくて、その先にある幸せを考えよう、ということですよね。自分がだいすきなPayForwardの思想。
自分と「相手」。相手が一人なのか、複数なのか。相手が複数になったとたんに、最小単位は「三」になる。
ここから先は発散しそうなので、このツイートで...
(ここまで書いて疲れてきた)
もし機会があれば、もっと掘り下げて考えてみたいかも。
2つだと、マウンティングとか、優劣の判断をしようとする人間の性が入ってしまうのではないですかねぇ?
— あさこ (@acha_821) 2019年5月12日
三者の場合、調和という種の保存法則?的な、本質が出てくるのですかねぇ。
2対1で劣勢になるという本能的な危機感とか。心理学も関係してますよねぇ。
面白いなぁ。
そうですね。A,B,Cの三者がいると、AとBでマウンティング取りが始まりそうになった時にCの存在がブレーキ役割をするのかもしれませんね。
— あきやま🍸 (@akiyama924) 2019年5月12日
その辺の心理的理論?ってどこかに整理されているのかな?
ストレッチ目標の置き方は簡単じゃないですよね。
— きたのしろくま(あだち) (@kitanosirokuma) 2019年5月12日
組織側に倒すと個人的に無茶になったり、個人側に倒すと組織目標に届かないとか。
両面に有効な第三の案(顧客を加えた三方よしの案)が必要です。
どうもです。
— あきやま🍸 (@akiyama924) 2019年5月12日
大岡裁きの“三方一両損”とかも、子供の頃からあれはなんだろう?と気になっていました。未だによくわかっていません。
結び
結局、もとめるところは「花してはりまんの?」であり、お互いにそれを享受しあうところなのではないだろうか。
「花してはりまんの?」と言う言葉は、「存在が花をしている」の言い換え。
「そこに在ること」、「秩序をもった"存在の本質"」を喩えている言葉で、「五感がなくなり存在感だけが残る」を意味しているとのこと。
否定しあうのではなく、秩序をもった存在として認め合って、自分だけじゃなく、向き合う相手が「複数」であっても、本質は変わらない。ここに、最小単位として「三」がでてくるのではないかな、と思う。
「三」という数字は、自然原理からも、最小単位としてもっともな数字だと思われる(上記検証だけでは到底足りないが(汗))。(毛利家の3本の矢とか?トライアングルとか?)
心理学(?)的にも、前述のとおり、人間の関係性は、自分と「相手」。相手が一人なのか、複数なのか。相手が複数になったとたんに、最小単位は「三」になる。
...という結論を持ちました。
心理学だろうが、物理学だろうが、普遍的な考えは、本質は変わらない。
世界は厳しくつらいだけじゃない。きっと、楽しくなる普遍的なものがそこにはあるのでは、と。
いろいろ調べたり考えたりする中で、ひとつひとつのの観点が本当に面白いなぁと思った。(小並感)
この考えは、あくまでも個人的な観点からなっとくしたものなので、「こんな考えもあるよ~!」というものがありましたら、ぜひアドバイスくださいませ!
読んでくださってありがとうございました。
参考記事等
あきやまさんの記事
三について具体例をかんがえた時の参考記事