プロとアマ ~第三者検証と鏡~

◆はじめに


なぜこの記事を書いたか。
もちろん、このお話に深く同意する部分があったということもありますが、今後の意識の持ちようを再確認しなさいという自分への戒めの意味が一番です。


◆序


ピアノを習いはじめました。まだ、継続1年半ほど。
両手でやっと弾けるようになりました、程度のひよっこ。
先生は、音大も出て、20年以上生徒を教え続けており、自分でも演奏会を開いたり、サークルを作っての活動もされているすごい方。
まだまだ、自分は修行中。
そんなレッスンのなか、練習方法の話になり、花が咲く。
先生「練習、どうやってされていますか?」
自分「先生にアドバイスいただいたことをひとつずつ確認しながら、ひとつクリアしたら次へ・・というやり方です。」
先生「なるほど。私のコメント、アドバイスを取り入れてくださっているので、上達が早いのですね。では、プロとアマの違い、分かりますか?」
自分「突然ですね(笑)。」
先生「突然ではないのですよ。練習方法と意識の向け方はつながっているんです。」
自分「プロはお金をもらう、アマは自己満足・・?」
先生「それが全部ではないですが、そんなイメージですね。大きく違うのは、『第三者からの目を意識しているかどうか』にあります。」
自分「なるほど・・・」


◆破


『第三者の目』というのは、どういう意味で使われているのでしょうか。
簡単に言うと、「鏡」です。
自分を照らし合わせ、客観的に見ているかどうか、です。
客観的というのは、主観がはいってはいけません。絶対に。

「鏡」でありつづけるのです。

1)簡単な例

朝起きて、髪の毛がおったっていたとします。
鏡をみないと、「どの程度」「見たときにどう感じるか」等の観点を増やすことが出来ません。
鏡を見ずに外出すると・・髪型も服装のバランスも確認できません。
自分で持っているイメージだけで”想像”したものが成果物になっています。
鏡をみれば、「どこを直せばいいか」「どうであれば良いか」「自分の持っているイメージと同じかどうか」などのチェックを行うことが出来ます。

2)ピアノの事例

ちょっと極端なイメージで書くので、その辺はご容赦ください。
アマ:他者に「自分のイケてる演奏を聴かせる」
プロ:他者に「自分が生業とする技術を聞いていただく」「反応を見て改善をする(お金をいただいているという意味でも)」
上記のような、各自の持つ『意識の違い』が大きな差分となっています。

3)実際

IT業界で働いており、プロセス改善など、所属する組織の底上げ・意識向上を行う部署にいるということもあり、上記の意識は常に持ち続けなければいけません。
コミュニケーションにおいても、すべてにおいて共通する事項となります。
「自分を客観的に見れていますか?」
「他者を意識せず、改善(成長)を怠っていませんか?」
自分を成長させたいならば、第三者の目線が必須なのだと改めて実感しました。
発展途上にあり続ける人間。
成熟という言葉は、ある特定の、本当に小さな領域でなら達成しえるかもしれない。けれども、部分最適のままでいてはもったいない。
その「部分」を広げていくためには、「成長」という言葉が表面に出てくるのです。


◆急


ソフトウエア開発現場において、QAはなぜ必要なのか。
第三者検証がなぜ必要なのか。
また、そのあるべき姿はどういうものなのか。
鏡は自分自身を率直に映し出してくれます。

これは、
客観的に見てくれる他者と「あるべき姿」の『合意』が取れていることを意味し、ステークホルダーとの合意が必須であることを示します。
前提を同じくし、あるべき姿に向かって「どこをなおせばよいか」「どうであればよいか」をひとつずつ確認するプロセスを踏みしめていく。
個人も、組織も粒度を変えてみてみれば必然と変わらない・・・。


reflection on you,yourself.
今日も鏡を見ていますか?