三方良しの「三」とは?というブログを前回かいてから、「三」という数字..
世界を支配する「三」という存在に脳をジャックされてしまった。(中二的)
その脳の状態のまま、勉強会のあり方についてちょっと考えたので、その考えをメモ。
ちょうどいいタイミングで、redmine.tokyoがあり、仲間も同じようなこと(?)を考えていたようなので、ちょっとうれしかった。
分科会っていう感じで分かれてもいいよね、という流れ。
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— りょうま@redmine.tokyo終了でRedmineロス (@ryouma_nagare) 2019年5月19日
第16回https://t.co/rK1vpIGoIJ勉強会に行ってきました - ryouma-nagareのブログhttps://t.co/t5j2Vm6Sj6
以下が、なんとなく考えたメモ。
”Redmine.tokyoは、Redmineがあるからうまくいく”
ちょっと汎化すると、ツールがあって、勉強会ではそのツールの周りを取り巻く全てを学ぶということと考える。
それは、人間が人間である所以である、喋る、考えるってのをふんだんに使う領域。
ビューを変えて、Redmine.tokyoが、ツール(Redmine中心)ではなく三種の神器の三つのうちの他の二つ(スキルとプロセス)なら、きっとここまでうまくいかなかったんじゃないかなぁ、と、想いを馳せた。
Redmineエバンジェリスト会(分科会)では、ツール以外の二つの観点を中心とする議論をしている。で、それが発展してきたのは、ある程度クローズドだから。
オープンで多様性、母集団がでかい勉強会だと、発散するところなのかなぁ、と思う。
Dockerとかrubyとかも、手段の勉強会になるのかなぁ、と。スコープを限定する要素。
勉強会のあり方とかも、ある程度この法則使うとあるべき姿が見えるんじゃないかと思った。見るべきビューって、この3つに集約されるんじゃないのかなぁ〜と。。
もう少し具体例をいれて、考えを突き詰めていきたいなぁと思ったので、メモでした。