「サラリーマンではなく技術屋を一年目から教育すること。」
2年前に、同僚が語っていた夢。当時聞いたときは、あまりイメージがつかめなかった。
最近、社外のいろいろな方と出会う機会があり、新人さんとも出会うことがある。
ふと感じた事。それが、このセリフだった。
自社内では、数式バリバリの講座もある。
そこに出てきてくれるのは、入社して数年の人たちが多い。その中でも、入社したての子から発せられる質問はとても初々しくて、何か思うところがある。こんな風にも感じることがある。
「優秀だなぁ。技術屋になる脳を持ってるなぁ。」
この話を、その講座の講師と話すと、
「あの子はつぶしたくないな、このまま行ってほしい。従来のプロジェクトの経験を踏むことでそれが無くなっていってしまうことは避けたい」と。
あぁ、これだな、と。
新人さんは、大学で勉強してきたばかりで、脳も若いし、伸びシロが沢山。
そんなところで、「エンジニア」を「忙しさ」を理由にしないで教育していくこと。
知ることへの渇望を持ち続けてほしい。
忙しいから自己啓発しないなどではなく、その時間を作るかどうかという基準だけの問題だと思っている。
要は、知ることへの渇望を持ち続けてほしいのだ。
手段はいろいろ。
自分は、もっぱら、子供たちの視点に刺激され、さらには自社内のスゴイ人たちに刺激され、自分の興味のあるところも絞れてきて(それでも範囲は広い)、
底辺以下だった自分が少し底辺まできたかな、なんて少し評価を上げちゃったりしている。
ぜんぜんできてないけど、支えてくれる・教えてくれる人たちがいて、その会話が楽しい。
解決するだけじゃなくて、他の視点にも興味を持たせてくれる。
そんなかかわりを持ちながらの教育が新人のときからできれば、サラリーマンじゃなくて、エンジニアがそだってくれるんじゃないかな、と思っている。
自分の居場所は自分で作る。
「自分」は、自分のレベルでもあり、存在でもあり、持っている理想でもあり。いろんな意味での「自分」。
教育だけで補えないことは、自分の居場所をどう作っているか。
それだけの話ではないだろうか。
まわりには、沢山の「すげー」人たちがいるから、早くに出会って、刺激受けて、自分の居場所を確立してほしい。
出会うたびにすこしずつ変えていって、「計画を変更」すればいい。
それが、喜びに変わる時期が来たら、脱皮の瞬間なのかもしれない。